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二輪具新聞
Vol.12 2000.11.23
みなと、みずべ……みんなすき!? (^^)/~~~
Part.2 カブトガニに会うかに?・笠岡
ぐるぐる因島と向島巡り、尾道へ
因島は瀬戸内の島々では数少ない市の島。そして因島市は生口島も一部組み込んでいる。他の市は淡路島の洲本市だけだったかな? 造船などの工場が海辺にならび、工業都市の様相が印象深い。
ここまでのしなまみ海道は“自然”が中心だったので「違和感があるのか……?」といえばそれもない。これは街の構成が画一的な工場が並ぶ訳じゃないからだろう。大工場もあれば小さいのもある。その合間に民家もある、商店もちゃんとある。
このゴッタ煮的な風景は長い間かけて、芸予備の諸島の自然と同化してきたからだろう。果たしてしまなみ海道はこれから馴染むのか?。
因島へ向かうフェリー.結構乗ってます!
「さぁ、船で向島か、尾道へ一気に渡ろう!」って、地図片手に道を走ってたら、尾道行きフェリーの看板を発見! テッテケテ〜って港へ行ったら。船は停泊してるものの閑散としたもの。「あれ?」よく見たら“……日で廃止”なんて掲示がある。まぁ! なら看板もはずしとけよなぁ!
てまぁ、こんなんで因島の海岸沿いをウロウロうろつき。その結果、三原行きの港でフェリーがることを発見!「やった〜!」ところが2時間ほども待ち時間がある。う〜ん結局のところ、橋で布刈瀬戸をわたり向島へ行くことにする。また最初の志が崩れてくる。そうたいそうなもんでもないけど……。
高速に入ってすぐ、因島大橋手前のPAで一休み。どうも高速道路は性にあわないので疲れます。ちょうど横風が激しくけっこう振られたからかもね。
ラジオで生口島の山火事がまだ消えす、広島や愛媛など近隣自治体から応援も加わって 大がかりな消火になっているらしい。satounoはラジオをツーリング中は持ち歩いて聞いています。まぁ走りながらは危険なので支障のない最小限の音で押さえ、止まった時や空いてる道ではニュースや天気予報をを聞いたりしてまる。
特に地方民放の番組とか聞いてると、地元の事もよくわかるし楽しい。どうしてもバイクでツーリング中、特にソロのときは情報を取り入れる機会が少なくなる。そして疲れたときや苛ついたとき、ラジオから流れる曲やちょっとした話は気持ちを落ち着かせるのにもちょうどいいんですよ。(~o~)
テレビ・ラジオ・携帯・カーナビ、パソコン……、とかく情報手段の多さ情報量で人は満足しがちだけど、無駄な情報はいくら量があっても意味がない。だからツーリングなんてラジオひとつで充分。携帯電話も日頃は電源OFF。でも朝・昼・夜ぐらいは留守電の有無を聞いたり、一日一度はカミさん(家族)に連絡をいれる(つもりです)。これはライダーのマナーです。鉄砲弾ではバイク乗りはやってけません。自由な事と勝手気ままはちがいますからね……。(^^)
 こうして向島もウロウロ海辺の浜を散策。漁の支度や泳ぐ子供。すぐ目前は岩子島。赤い橋が狭い海峡を結んでいる。つい景色がたのしくて、奥へ奥へと入っては行き止まり。なんだかよヨソの庭先まで入ってしまい、エンジン音に「何事?」と飛び出してきたおばあさんたちに「道まちがえました(^^;)ゞ」となんどかあやまり続けて、尾道水道の渡船場まで何とかたどり着けてよかった。最後ぐらい船で渡ってみたかったから。
ビルと造船所がひしめきあう海峡の街・尾
道。しまなみ海道開通で、あたらしい建物が増えて、昔ながらの情緒は減っていう話。で
も地図片手の観光客はみかけるし、新鮮な魚
上:向島からみた因島大橋。生口島側とは違って静かな海峡 を売る店も健在。駅前の古い映館画もあっ
下:尾道水道。ここの連絡フェリーは橋があっても健在! た。
まぁこうしてしまなみは、最後は船でシメ
ました。
龍馬にカブトガニ・・・海辺づたいウロウロ
 尾道から東へ海岸の沿って行くと、鞆の浦という古い港がある。半島のようになった陸の先にある小さな入り江は、古くから瀬戸内交通の寄港地としてにぎわったそうだ。
いまでは漁港としてのにぎわいだが、一帯は古い街が残されていてムードはけっこうある。でも入り組んだ道はまるで迷路。当然迷ってしまいうろうろうろつき、偶然海に出たら波止場と蔵があって「いろは丸展示館」になっていた。
いろは丸といえば坂本龍馬の海援隊が使っていた船なんですが、なぜ鞆の浦なのか。
 ・・・・1867年4月23日の夜、いろは丸が鞆の浦の南東約20q付近にある六島沖で紀州藩の明光丸と衝突し損傷。鞆の浦へ曳航の途中、宇治島沖で沈没(龍馬たちは無事鞆の浦へ避難)。
もともと鞆の浦には龍馬が隠れていた事もあったそうで(いろいろ命を狙われてたので)、いろいろ縁の深い場所みたい。
そんなんもあってここには引き上げたの遺品と龍馬についていろいろ展示してるという訳。
ちなみに展示館二階の屋根裏には今でも龍馬が座ってます?(*_・)
右上:鞆の浦「いろは丸展示館」右下:鞆の浦港
カブトガニを見たくて、笠岡へむかう。備後灘にそって進む。カブトガニ博物館はドーム状でなぜか恐竜の骨格標本がならんでいる。まぁ、「恐竜が歩いていた時代から生きてきた……生きた化石」っていうのを実感するのは良いのかも知れない。
でもなんだか個人的にはこれが博物館のウリになっているように思えてしまい、「もっとカブトガニをアピールしてもいいんじゃないの?」なんて思ってしまう。何億年も絶滅せず続いてきただけでもすごい事とだど思うのだうけど……。まぁ  カブトガニの保護と博物館の運営との折り合いは難しいのかもね。
ちなみにカブトガニが数億年の間、環境の変化にも順応できたひとつに、高い解毒能力があったとか。
ところがそのカブトガニにも解毒できない有機スズがカブトガニの体内から検出され、奇形や内蔵のやられたカブトガニも見つかっているそうだ。この有機スズは船の塗料に使われ、他の海の生物からも検出されている。有機スズなど重金属は体内に入る
と分解解毒出来ずに蓄積されて様々な病気の要因に
左上:笠岡カブトガニ博物館/ なっている。そしてそれらを体内に取り込んだ海の
左下:一面の空地、笠岡湾干拓地 生物を人間も食べているかもしれないのだ。(-_-)
貴重なカブトガニが生息する笠岡周辺一帯は干拓地だらけ。神島という沖の島と陸続きになってしうまうほどの大規模ものだ。
カブトガニ保護を叫んでいながら自然の浜辺がすくない。後で聞いた話では、だいぶ年月が過ぎたというのに、塩の影響などで広大な干拓地はいまだほとんど使われず草ぼうぼうの空地。道路だけが福山への抜け道に利用されるばかり。今のところ得したのは工事業者だけ?
もしつかえるようになっても米余りで稲作農地にはいまいち利用価値がない。野菜を植えても海辺だから塩害もあるだろうしなぁ……計画を立案した者どこまで計画を突き詰めたのか? 時代の変化なんて考えたのか?“日本は山が多いから平地を増やせ!”って発想だけで干拓したならとんでもない話だ。
国民の税金がこのまま無駄なるのかどうか? 現地に説明表示は見あたらなかった。
旅の終わりはいろいろ考えてしまう締めくくりになりました。
ツーリング・メモ
山陽・山陰地域へ船でいく:山陽・山陰へツーリングとなると、陸送が一番に思い浮かびあがりますが、長い高速道路をひたすら走るのも大変。ましてタンデムでは一般道路を使うのでよけいに大変。そこで船を活用するのもテです。
関西から:高松経由で岡山へ/神戸から高松行きのフェリーで四国へ渡り、宇野(玉野)行きのフエリーで岡山へ渡る。高松から多度津まで行って広島県・福山行きのフェリーで渡る方法もある。
関西から:松山・今治など経由で広島へ/大阪南港・神戸(六甲アイランド)から四国行きフェリー が東予・新居浜。九州行フェリーの一部が松山・今治などに寄港している。ここから波方・松山などから本州行きフェリーで広島各地へ。あと今治からしまなみ海道で尾道へ渡ることも可能。途中の島から本州(三原・竹原など)へ渡る事もできる。
関西・関東・北越から:北九州経由で山口・山陰へ/小倉・新門司など北九州には関東(徳島経由)・関西からのフェリーが就航している。また新潟県・直江津から博多行きのフェリー航路もある。関門海峡を渡ればすぐ本州山口県下関市。関門海峡は橋・トンネル・船など渡る手段が多くて便利。
九州から:松山・今治など経由して広島へ/別府・大分などから関西行きのフェリーが松山・今治に寄港するので利用して広島(竹原・尾道方面)へ渡る。
右上:岡山・宇野−高松間フェリー。3会社が24時間運航している。/右下:ジャンボフェリー・神戸(第3突堤)−高松を約4時間で運行。
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